本当に小泉劇場?? | マルボロの部屋

本当に小泉劇場??

ちまたでは「小泉劇場」という言葉が頻繁に使われている。ワイドショーを初めとしたTV、ラジオ、新聞などの様々なメディア、もちろんネットでも掲示板やブログ、そして与野党の政治家もとても頻繁に使う。コメテイター、政治評論家誰もかれも使いまくってます。


少し前に援助交際って言葉が流行った。実態は主に高校生などの売春。波及して大学生、社会人、フリーター、中学生まで援助交際していたみたいだけど、とどのつまりは単なる「売春」。援助交際という新しい言葉を使うことで、現在起こっている現象を的確にとらえると同時に「売春」という負のイメージをあいまいにしてしまっていた。負のイメージ、デメリットをあいまいにして、「売春」をキッチュでポップにしてしまっていたのが、「援助交際」。ぶっちゃけ、援助交際は、エイズに恐れた団塊の世代とバブルがはじけ不景気と将来に対する未成年の不安がうまくフィットして生まれたと個人的には思っている。特に団塊の世代の欲望によるところが多かったと思う。だって、若者は、援助交際なんてしなくても女子高生とHしようと思えばできるし、そもそも基本的に若者には金がない。

金があって、エイズにかかっているリスクが少ない若いプロじゃない女性と遊びたい団塊の世代が考えた口実にすぎない。


話が少しずれたので戻すとして、援助交際を例に出したのは新しい言葉が生まれたのには訳やそれなりの理由があるのだということだ。


野党やテレビのコメンテイター、評論家は、「小泉首相が大衆を騙している」「大衆の受け狙い」というニュアンスで「小泉劇場」という表現する。小泉首相が大衆に支持があるのは確かだ。では小泉劇場という言葉に潜む現実、あいまいにされているものはなんだろうか?


造反組みや野党の多くは、小泉首相が参議院で否決した時、解散しないと思っていた。特に綿貫、亀井の二人は強くそう思っていたのではないか。そこから小泉は変人で読めないとよく聞く。しかし、多くの有権者は違ったと思う。

否決されたら解散することはほとんどの国民は理解していた。


小泉首相に関しては、読むことができないのではなく、読む必要がないのだ。彼には、基本的にメディアから見えている部分では「本音と建前」というのものがない。言った事、発言したことをそのまま実行している。できるだけ隠さず発言することを有権者は政治家に望んでいるのではないのだろうか?


小泉首相以外の政治家はどうも「胡散臭さ」が残る。小泉は思ったことをまずしっかり発言する。

この当たり前、普通なことがとても国民に伝わりやすいのだと思う。

逆を言えば、小泉さん以外の政治家がいかに回りくどいかが言えると思う。

自分のため、政党のため、有力支援団体のためという胡散臭さが見えてしまう。

さらに言えば他の政治家が「国民」「日本」という言葉を使えば使うほど不思議と胡散臭さが漂う。